これまでとこれから

丸八製茶場の歴史

2021年6月15日公開

香りと旨味を追求した茎の焙じ茶「献上加賀棒茶」を生み出し、
石川県を代表する商品として育て上げた丸八製茶場。
六代にわたるその歴史は、江戸時代にはじまります。

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「加賀の茶」華やかなりしころ
打越(うちこし)茶園に、「丸八茶店」あり。

加賀藩祖 前田利家は千利休から直に侘び茶を学んだといわれ、石川県は古くから日本茶とのつながりが深い地域でした。三代藩主 前田利常の時代からは、チャの樹の栽培も行われていました。
丸八製茶場の歴史は、加賀藩の支藩である大聖寺藩、現在の打越町ではじまります。当時の打越でも藩の産業開発の一環としてチャの樹が栽培されており、「加賀の茶」として近隣の村に出荷されていただけでなく、アメリカにも輸出されていました。 1863年(文久3年)、その打越で、初代 丸谷八左衛門が茶業をはじめます。

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1871年(明治4年)の加州江沼郡略絵図(「加越拍二郡図」)。柴山潟の左に「打越」、その上に現在の丸八製茶場の拠点である「動橋(いぶりはし)」の文字を確認できます。(金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)

時代が明治に移り、二代目 丸谷誠喜は、茶園管理者としてたびたび表彰を受けるようになっていました。生産されたチャはすぐに蒸し、揉んで乾燥させますが、大正のはじめまでこれはすべて手作業で行われていました。当時は、新茶の時期に製茶職人十余人を呼び寄せて手摘み茶を製造していたといわれています。1912年(大正元年)、丸谷誠喜は創業者の名前から商号を「丸八茶店」とし、その商圏を加賀温泉郷まで広げていきます。
三代目 丸谷隆吉の時代に、丸八茶店は石川県製茶品評会煎茶の部で一等賞を獲得。第二次世界大戦では四代目 丸谷誠長の出征がありつつも、茶業は大きな影響を受けることなく、打越のお茶の多くが丸八茶店から「加賀茶」として販売されていました。

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1924年(大正13年)の石川県製茶品評会壹等賞(一等賞)の賞状。

このころまで、丸八茶店の商品は抹茶・煎茶・玉露が中心でした。戦後に丸八茶店は動橋へ移転したため、打越時代のものはあまり残されていませんが、「大福帳」と呼ばれる帳簿には、北大路魯山人の料亭 星岡茶寮へお茶を納めたと記されていたといいます。焙じ茶が売上げの大部分を占めるようになった今も、丸八製茶場がつくり続けているこれらのお茶には、当時と変わらないこだわりが込められています。

動橋で大きく成長した「丸八製茶場」。
にぎやかな戦後の風景。

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昭和30年代の国鉄動橋駅プラットホーム。茶箱はここから列車に積み替えられ、運ばれていきました。

飲み物といえばお茶かお酒だった戦後まもなくの時代、国鉄の主要駅にある物資部へのお茶の納品が増えていました。丸八茶店は、その駅の一つ、国鉄動橋駅があった動橋へ移転します。

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昭和30年代の旧本店。国鉄物資部用の出荷を行っているところ。左奥にスーツ姿で座るのは三代目 丸谷隆吉、右側でお茶の袋を持ち立っているのが四代目 丸谷誠長の妻 弥栄子です。

現在はJR動橋駅となった駅のすぐそばに、今でも旧本店の建物が残っています。当時は約300坪の敷地に店舗・倉庫・工場があり、工場内は作業をする従業員でにぎわい、店頭に茶箱が積み上げられた景色もよく見られました。
1954年(昭和29年)、丸八茶店は法人組織「丸八製茶場」となります。このころ、アメリカで生まれたスーパーマーケットが日本にも登場しました。丸八製茶場は国鉄物資部の売上げに加え、スーパーマーケットでの売上げを伸ばし、1963年(昭和38年)に100周年を迎えます。

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昭和30年代の旧本店での袋詰め作業の風景。一つひとつの包装のサイズが大きく、多くの家庭で毎日お茶が飲まれていたことが想像できます。

「よりよいものをつくる」と決めたとき、
よりよいものが求められた。

丸八製茶場のものづくりが変わるきっかけが訪れたのは、1973年(昭和48年)に四代目 丸谷誠長が社長に就任し、2年後、五代目 丸谷誠一郎が専務に就任したころでした。日本経済は右肩上がりを続けるとの予測が一般的だったことから、丸八製茶場も金沢営業所を開設し、北陸全体への販路の拡大を図ります。しかし、直面したのは急激な流通や消費の変化でした。これまでのやり方では思うように成果が上がらない状況に苦しむ中、1982年(昭和57年)の「良い食品を作る会」 との出会いが、大きな転機となりました。

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昭和50年代の旧本店。このころ丸八製茶場は転機を迎えていました。

食品の本来のおいしさ と長い歴史の中で実証されてきた安全性、そして食品を家庭に供給する者としての良心を大切にし、企業の利益を優先するかのような食品生産に対して誠実な批判をする「良い食品を作る会」の理念に、専務 丸谷誠一郎は感銘を受けます。三代目 丸谷隆吉の時代から丸谷の家は味覚に厳しく、それは日々の食事にも及んでいました。そんな環境で育てられた繊細な味覚も、さらなる「おいしさ」の追求につながりました。丸八製茶場が商品の質の向上に舵を切ったちょうどそのころ、それを待っていたかのように、よりよい商品が必要とされる機会が訪れたのでした。

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2005年発行の「良い食品づくりの会」リーフレット。 「良い食品を作る会」は1993年(平成5年)に解散しますが、丸八製茶場は1997年(平成9年)に同会を継承して発足した「良い食品づくりの会」にも参加します。

1983年(昭和58年)、全国植樹祭で昭和天皇が石川県を訪れることになりました。宿泊先のホテルから依頼され開発した加賀棒茶が、のちに丸八製茶場を代表する商品となる「献上加賀棒茶」です。最高の原料を求めたどり着いた鹿児島の一番摘み茶の茎を使い、焙煎の方法もこの商品のために考案しました。昭和天皇がお気に召して東京へ持ち帰られたというこのお茶は、翌年商品化され、やがて多くのお客様に愛されるようになります。

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商品化された「献上加賀棒茶」。パッケージのデザインと文字は四代目 丸谷誠長のものです。

お客様とのつながりが生み出した、
焙じ茶を楽しむ空間。

同じころ、丸八製茶場は販売の方法も大きく変えていきます。小売店を通じてではなく、お客様と直接つながり、商品の魅力を伝え、販売していくことに挑戦したのです。
1987年(昭和62年)の五代目 丸谷誠一郎の社長就任後、丸八製茶場の本店では、お客様を招いた日本茶の会「八の日」が行われるようになりました。15年ほど続き、最後には200人もの人が訪れたというこの会は、丸八製茶場のお茶を楽しむ空間づくりのはじまりともいえます。
1991年(平成3年)には、本店以外では初の直販店をJR金沢駅「金沢百番街」に出店。開店から30年近くにわたり売り上げを伸ばし続けたこの店は、地元の方だけでなく、金沢を訪れる全国のお客様と丸八製茶場がつながる大切な場となりました。
「金沢百番街店」開店3年後の1994年(平成6年)には、金沢市東山のひがし茶屋街に本格的な喫茶スペースを併設した「茶房一笑」を開設しました。町屋を改装したこの店舗はマスコミにも取り上げられることが多く、現在ではひがし茶屋街の人気スポットになっています。

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2018年(平成30年)ころの「茶房一笑」。この後、「一笑」とし てリニューアルし、2階に焙じ茶を楽しみながら作業ができるコワーキングスペースがつくられました。

2003年(平成15年)には動橋本店を移転。新しい本社には、喫茶スペース「茶房実生(みしょう)」のほか、「良い食品づくりの会」の精神をかたちにした、誰もが見学できるオープンな工場がつくられました。2019年に名前を「実生」と変えた際には、その中庭に丸八製茶場が考案した「焙じ茶道」を体験できる茶室「双嶽軒」を建設。それぞれの店舗を訪れるお客様のために、それぞれ違った時間を楽しめる空間をつくり上げました。

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「実生」の中庭につくられた焙じ茶のための茶室「双嶽軒」では、焙じ茶とあてのコースを提供しています。

丸八製茶場が広げた加賀棒茶のおいしさ。
丸八製茶場が広げていく焙じ茶の世界。

2013年(平成25年)に社長に就任した六代目 丸谷誠慶のもと、丸八製茶場のビジョンはさらに大きく広がっています。若い世代に手軽にお茶を楽しんでもらうためのティーバッグ。焙じ茶を自分でいれて楽しむことができるコワーキングスペース「一笑+」。生産農家の個性を生かした新しい焙じ茶が毎月発売され、その中から定番となる商品も生まれつつあります。

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「深炒り焙茶BOTTO!」は、契約農家の茶葉の個性を焙煎で引き出すことに挑戦した新しい焙じ茶です。

2020年(令和2年)、「加賀棒茶」が石川県の地域団体商標として登録されました。加賀棒茶が加賀地方のふだん使いのお茶だった時代に丸八製茶場の「献上加賀棒茶」が誕生し、30年余り。加賀棒茶は価値のあるものとして、全国に広がり、石川県を代表する商品になりました。
現在も加賀棒茶のおいしさを日本中に発信し続けている丸八製茶場。その過程で、丸八製茶場は、それまで深く探究されたことのなかった焙じ茶の世界の扉をたたきました。そしてそこには、まだ誰も出会ったことのない味や香りがありました。これまでにない新しい焙じ茶を創造すること、焙じ茶を楽しむ時間と空間をつくること、そして、それをお客様に伝えていくこと。丸八製茶場は、焙じ茶の世界を追求していくことで、新しい日本茶の喜びを、日本へ、世界へ広げていこうとしています。